悲嘆は人間の正常な生活の一環です。しかし核家族社会に暮らす日本人にとって、今や死別はごくまれなライフイベントの一つであるため、身にしみいる課題として考える機会は減っています。未経験であるために、家族や親しい人の援助や助言を必要とする事が多いのですが、そのような豊かな人間関係が社会から消え失せつつあるのが問題です。
夫と死別した筆者の経験を思い返すと結婚後は文字通り核家族を築いてきました。しかし夫の闘病期や死別後には、縁遠かった親戚の絆と温かさをあらためてほのぼのと感じる機会が持てました。特に、葬儀などの宗教行事に集まった親戚の輪を見た時、自分も夫も独りで生きてきたわけではないと実感しました。
それでも死別後の交友関係をあらためて見回すと、新しく知り合いになった人々に置き換わっていきます。生活を再建するために、生きる意味を再発見する過程で作り上げた新しい人間関係といえるようです。
人はどこかで互いに支えあって生きています。形式に流れているとはいえ、宗教の意味を再発見し、日本の伝統的な知恵を見直すことができたなら、宗教行事や信仰心が悲嘆回復のきっかけとなることもあります。ひいてはそれらが人々の信頼感に支えられて、回復への軌跡の方針を与えてくれるでしょう。
悲嘆は生涯続きますので、適切な時期にじっくり操り言を傾聴してくれる人、必要な買い物をしてくれる人など、死別者のサポートをしてくれる人の存在は大変心強いものです。これらの援助を悲嘆の援助といいます。
グリーフケアアドバイザー
あさがお自費看護
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